千葉市美浜区高洲 稲毛海岸駅近くの歯科医院

寅年にちなんで

千葉歯報 2022.1

七回目の寅年にちなんで

花澤清麿

 私事、7才で父、清(書道家・花澤桂石)、医師(内科、産婦人科、外科、歯科)、(初代千葉市歯科医師会長、初代千葉県東歯大同窓会長)の三男で戦中に疎開する。半商(政府米穀仲買、煙草、食塩、農業肥料)半農の祖父母に与けられ、年中、日の出前起床、夕方には井戸水から五右衛門風呂場への弥次郎兵衞式水汲み、火吹き竹で飯炊き、祖父母の臥床造り、階段廊下の洒掃、更に日中は農作業(麦踏み、田植、稲刈り)、煙草店番と殆ど日がな一日、11才迄手伝い、辛い感情も有りました。現今もトイレ、風呂場の洒掃、床造りは実行しています。

ダンベル体操

 私は20才から現在迄も酒、煙草、賭事は無く、将来医者に与みするならば勉学と運動のみで良いと父の厳格教育で遡及すること約50年間ジョギング、マラソン、ダンベル体操に明け暮れました。
 更には生涯、三軒家を建てなさいと、此処迄は何の変哲も無いが、後の総理大臣福田赳夫氏の私設秘書で6才年上の結婚を期に24才で家を出ざるを得無く成り、浮浪の人生が待っていました。意地でも両家から経済支援も受けず、40才の時に小さな木造診療所から興して最終的には四軒建てました。

 家長の父は、商人の跡継ぎを捨て、妻と伯父の東京渋谷村代官山の家に身を寄せ乍ら、牛乳、新聞配達、ガソリンスタンド従業と夜はタクシー運転で苦労をし、慶応医大、東京歯科大学を卒業する。
 医療開業後の父は千葉医大衛生学教室で整腸剤ミヤリサン(酪酸菌)剤の製品化で医学博士号を取得し、畢竟するには小生には自分で働いた所得でと、歯科診療後から千葉医大16年間臍を固めて三人の教授(任意辞任、現役病死、現役指導者)に献身しました。米中のカドミウムの恕限量を決めた研究で53才にして運純根を貫いて医学博士号を取得しました。
 これも偏に、骨髄造血説を否定し腸間膜造血説を唱えて、血液と腫瘍(現在では癌)で医学博士号を千葉医大で授与され、現在に於いても全国最年少記録保持者の森下敬一先生との学生時代でのお手伝いの賜物と思う。
 以上の私事の事柄は現代に於いては閑文字と思われます。
 尚、クイーン・エリザベス号の地中海クルーズではドクターに是迄綺麗な血液に遭遇は無いと絶賛されました。
 過去の県歯の投稿文では、健幸を訂正されましたが、小生はこれからも健康ではなく健幸で矍鑠と生きたい。
 然し悲しい事に、ニッカウイスキー創設者、竹鶴政孝様の関係で年二回の余市会の飱会も出来ず、宇宙飛行士毛利衞さんとのテレワークのみで、無虚此処二年寂しい日々を過ごして居ます。

擱筆。